私は今、ロシアにいます。なぜそんなところにいるのか、と言いますと長期の休みを利用して、かねてからの夢であった、ユーラシア大陸横断を鉄道でやっているからです。3月11日から約2週間かけて、中国の北京からロシアのサンクトペテルブルグまでを鉄道で移動し、その道中を日記として公開しています。
その公開に際し、本来であれば全文をこちらに寄稿したいのですが、インターネット環境が日本ほどよくないことから、記事へのリンクという形で公開することをお許し頂きたいと思います。
旅行のきっかけ
バックパッカーのユーラシア大陸横断は、今までに様々な書籍が出版社から販売されていますので、こちらでは特に触れませんが、今回の旅は、今なお多くのバックパッカーの心をとらえて放さないであろう沢木耕太郎氏の紀行小説、深夜特急をイメージして計画しています。
沢木氏は作品の中で、アフガニスタンを通り、ヨーロッパへと抜けています。非常に残念ながら、かつて沢木氏が旅行したアフガニスタンが持っていたシルクロード中継地としての役割は、1978年のアフガニスタン戦争によって失われ、今なお緊張した状態が続いています。現在、アフガニスタンへの入国は制限されており、旅行だけではなく、商業目的での入国も厳しい状態です。
かつて悠久の歴史の中で人間とラクダがイスタンブールを出発し、アフガニスタンを通じてアジアへと物資を運んだシルクロードのルートがありました。アフガニスタンの内戦をきっかけに今、その歴史が育んだルートは、大きく変化を遂げようとしています。ロシアからカザフスタンを経由し、中国にいたるシルクロード鉄道がその役目を担おうとしており、各国がこの鉄道ルートの円滑な運行に協力の姿勢を示しています。今回、このルートを実際に鉄道で旅して、そこに行き交う情報、人間、文化、歴史を肌で体験したい、そう思って旅行を計画しました。
旅行ルート
私が計画したルートは、飛行機で中国の北京まで飛び、そこから先は全て鉄道で、ウイグル自治区のウルムチ、カザフスタンのアルマティ、モスクワのロシア、そして最終目的地であるサンクトペテルブルグへと至ります。
ヨーロッパへの玄関口として知られ、世界で最も美しい街の一つと言われているサンクトペテルブルグを最終目的地に選んだのは、日程の都合による物が大きいのですが、ここから先はヨーロッパであり、本来であれば沢木氏のようにイギリスまで移動したかったのですが、前述の理由から、この地を最終目的地としました。
この記事はサンクトペテルブルグで書かれており、次に紹介する旅行記は、実際に鉄道の中や滞在した宿で書かれたものです。現代のシルクロードの空気や情景を感じ取っていただき、記事を楽しんで頂ければうれしく思います。
元地図:Google Earthより |
旅行記
今回は旅行1日目から4日目までの紹介です。
シルクロード鉄道の切符をあらかじめ日本に送ってもらうことがビザなどの関係上非常に難しかったため、全て(言葉が全く通じないにも関わらず!)現地で調達しています。
この記事を読んでいたく皆さんにわかりやすいように、まずは1万キロ以上に及ぶ鉄道ルートについて触れ、そして日本から北京までのフライトと、北京からウイグル自治区のウルムチまでの鉄道紀行、そしてウルムチでのカザフスタン共和国への切符入手に奮闘する内容をまとめました。
- プロローグ:移動ルートの紹介
- Day1 日本から中国(北京)へ
- Day2 北京からウルムチへ - シルクロード鉄道の始まり
- Day3 ウルムチ到着 - 中国でも女性はブーツ
- Day4 ウルムチの朝、カザフスタンへの切符
記事執筆者プロフィール
河野謙三
NSP-mono ファウンダー、代表
ブログ:NSP-mono blog、Twitter:@kenzokono
1996年から約7年間、アメリカに在住。シスコシステムズのエンジニアとしてインターネット黎明期に多くのサービス立ち上げに携わる。日本へ帰国後はNTTコミュニケーションズを経て現在は金融に勤務しながらITを中心としたビジネスのアドバイザリー活動を続ける。
NSP-mono ファウンダー、代表
ブログ:NSP-mono blog、Twitter:@kenzokono
1996年から約7年間、アメリカに在住。シスコシステムズのエンジニアとしてインターネット黎明期に多くのサービス立ち上げに携わる。日本へ帰国後はNTTコミュニケーションズを経て現在は金融に勤務しながらITを中心としたビジネスのアドバイザリー活動を続ける。